誕生日と握手会
本日、わたしの誕生日でした。
何歳になったのか、20過ぎてからは自分でもよくわからなくなります。
なにはともあれ、わたしの誕生日よりも重大なことがあります。
それは、今日が乃木坂46の握手会だったことです。
こんなもの、運命でしかありません。買い貯めた握手券握りしめて、伊藤万理華さんに会いに行きました。
結果から言うと、万理華さんの体調不良による欠席で会うことは出来ませんでした。
ショックはショックですが、こういうことがアイドルの特性だと思っています。
アイドルの変化はマンガやアニメのようにストーリーの構成なんてありません。わたしたちにお構いナシで彼女らは変わります。時には彼女らにすらお構いナシで変化が襲います。
そんな話を、今長々と書いてみているのですが、なんか構成が上手くいかないのでもう少しかかりそうです。
さて、万理華さんに会えない誕生日が不幸かと言うと、まあそうなんですけど、今年の誕生日に関してはかなり楽しいものでした。
一泊二日の東京旅行で、握手会抜きにしても大学の仲間と久々に会えて、またバカみたいにお酒を飲めました。
握手会自体にしても、友達と駄弁りながらの待ち時間はあの頃と同じく楽しいもので、それも含めてイベントに参加する価値がありました。こういうことを言うと、怒る人もいるかもしれませんが、アイドル含めコンテンツには、人とつながるツールとしての役割が大きいです。
大学の友達とは、割りといつでも会えます。日本は狭いです。お金があれば、なおさら。ですが、いつでも会えても何度も会う程にはお金はありません。そうなると、“いつ”を会うタイミングとするかとなります。
その“いつ”として、アイドルのイベントと言うものは大きな標でした。
いつになっても昔みたいが出来るのは幸せだってみんな言います。わたしもそう思います。それはそうなんですが、今の仲間とそうできない代替になってしまうとには疑問があります。
月日が経ったら変わります。人も仲間も、アイドルも。そりゃあ、あの頃の仲間といつまでも楽しくいられるのはいいんですけど、今の仲間にはあの頃の仲間を更新してもらわないと、人生のピークを更新することが出来ません。
アイドルみたいなコンテンツには、常に以前を更新し続けることが求められます。でなければ、乗り換えられてしまいます。これは、傲慢なようですが、でも、こっちは楽しみを求めているわけです。今より楽しいところに行くことは何者であれ止める権利はありません。
他人を変えることは出来ない。自分しか変われない。一方で、自分なんて周りの他人で簡単に変わります。他人がその周りにいる自分で変わることもあるでしょう。
人任せというと聞こえが悪いですが、他人に良くあれと願うことは必要なことでしょう。ただし、その手段は自分が良くあり、その姿を以て示すことです。
わたしはわたしの良くある姿を以てよい仲間を持てることを願います。良きファンとしての姿勢を以て、良きアイドルを望むのです。
食い荒らすだけの飛蝗では、次の瞬間荒れ地で餓死します。それは、より良いものを求める行為ではありません。
というわけで、わたしは他人から良い影響をもらいたいのです。良い影響をもらえるように、良い仲間を手にするためにように、わたし自信が仲間に良い影響を与えられるように。
インフルエンサーということす。
お後がよろしいようで。
では、北上さくらの徒然、さくら戦線! 今回はこの感じで、わたしの誕生日とともに締めたいと思います。
また、いずれ。